2014年1月、オーストラリアへ
2014年の1月大寒の日本から真夏のオーストラリアへ
2009年、一人旅で訪れたオーストラリアのへそ、セントラルオーストラリアにあるアボリジニの聖地の巨大な一枚岩ウルル(エアーズロック)でみた赤い大地に沈む夕日の色が忘れられなった
大学を卒業して以来20年精神科医として臨床・地方行政に従事。
時に希死念慮の強い患者さんの診療を行いながら「一体人の命は誰のものなんだろう」という生命倫理的な問いが心の中に芽生えた
自分自身もいくつかの大病を経験し、40代に入りがんを患った。生と死と病を考えるため、日本の精神科医療を別の視点から見つめなおすためとの思いを抱え、ゼロから始めたオーストラリア生活
修士卒業後日本帰国を迷うも、外国人医師が豪州で臨床に従事できるチャンスがあるかもしれないと知り、つてなしで直接病院に電話したり、はたまた病院に突撃訪問するなど、試行錯誤で就活
王立豪州精神科専門医協会(RANZCPと略され、日本でいう日本精神神経学会のような団体である)のパネル面接の機会を与えられ必要要件を満たすことができ、首都キャンベラの精神科専攻医として公立病院に精神科医療に従事することに
病院の医師はオージー(オーストラリア人)が大半をだったが、International Medical Graduate (IMG)といわれる外国人医師もみかけた。イギリス、南アフリカ出身の英語話者や、インド人、ヨーロッパや中東出身で英語で医学教育を受けた英語を流ちょうに話す医師がよりよい環境を求めてオーストラリアに移住してくる。日本から外科、救急医などの臨床留学は時に耳にするが、精神科は言葉の壁があるためよほど英語が流暢じゃないと採用は難しい。そんな中で運よく異国で臨床の機会を与えられ大変貴重な経験を得た