40代で挑戦した正規海外留学の軌跡
40代の正規海外留学 ー 地方在住、在野精神科医師がなぜ
このブログ記事では、地方の民間精神科病院勤務だった精神科医師の私が40歳代に、海外留学することになったいきさつ、外国での二つめのの修士を取得、海外での精神科臨床を実践して、その後なぜ研究をめざすようになったかについてお話ししたいと思います。
留学や移住に至った理由は人それぞれ異なると思いますが、私の場合は若い頃から抱えてきた幾つかの健康上の問題やティーンエイジャーの頃に描いたキャリアの夢、そして病気を抱えながらどのように患者さんや仕事と関わってきたかが人生後半の選択に大きな影響を与えました。長年、在野の精神科医として研究や英語とは全く縁がなかった私が、オーストラリアへ渡るために日本で行った準備や、渡豪後にオーストラリアの病院での精神科臨床経験を通して芽生えた使命感、そして現在の将来目標についてお話しするつもりです。
病気と向き合いながら考えた 人生の後半へ
精神科医としてキャリアをスタートしたあと、大学を退局、その後は長く病床250ほどの地方の民間病院に就職し、一般精神科医療、依存症、女性のメンタルヘルスなどを中心に診療に従事していました。その間、精神療法に強い関心があったので、認知行動療法、森田療法、精神分析などの勉強に熱心に取り組んでました。20代、30代と大病を患い、回復に数年以上要しました。復帰したのち、精神科一般疾患、特に依存症の予防、早期発見を地方行政医としてかかわりたいとの思いが強くなり、先輩の誘いもあり地方行政医師に転向しました。新天地で意気揚々と頑張っている中、新たな健康問題が発覚して、業務を続け地域貢献することが難しくなりました。長い休職、そして退職のあと、病気療養余儀なくされました。
以上のようないきさつがあり、このように(Link)オーストラリアにできるだけ長く住むこと、チャンスがあったら臨床から研究への転向を目標にしたものの、そのころは情報がほとんどなく、実際に行ってみて留学して何ができるか見極めてみようと思ったわけです。もともと、哲学科志望の高校時代を送っていたこともあり(そういう精神科医周りに結構いました)、大金を費やして修士に行くのだから、と就活に有利な臨床学科などは考えず、気持ちの赴くままに生命倫理修士をおさめました。
海外留学・臨床で得た貴重な学びと経験
卒業後できたら臨床もやってみたいと、ビザのための学校に行き滞在を伸ばし、医師の求人を見つけて結局キャンベラとNSW州のハンター地区精神科トレーニングの医師のポジションを得て、3年ほどいくつかの病院で臨床を経験しました。
その間、毎日が驚きの連続でした。日本での臨床との違い、どうしてこんなにも違うのだろう?何がその違いを生み出しているのだろうか?自分の過去20年間の日本の精神保健医療での経験を振り返りながら、必死にその答えを探していました。
臨床から研究へ — 日本の精神保健医療への貢献を目指して
その答えを追求することで、日本の精神保健医療に少しでも貢献できるのではないか、と今でも考えています。おそらく私の強みは、医師としての立場からシステムや保健医療制度、法律、社会、コミュニティー、文化、家族を観察し洞察することが好きである点です。長年にわたり日本の民間精神科医療に携わる中で、多くの疑問を蓄積してきました。二つの修士課程で得た学問を通じて、視点を広げつつも精神保健医療に一貫してこだわり、議論や理解を深めてきました。そして、これらの知見を活かした研究を通じて、お世話になった患者さんに少しでも貢献したいという思いを、10年以上にわたって強く抱いていることだと思います。
人生の後半に挑戦したい方へ向けてのメッセージ
人生半ばすぎて、たくさんの経験をなさって、様々な動機で留学したいと願っている方が日本中におられるのかもしれません。出会い、仕事、子育て、病気、失敗、離別、喪失、自立...喜びと困難を乗り越えて、人生の後半の数年を海外で過ごしてみたい。
お金、英語、休暇などクリアにしていかないといけないことがありますが、それでも挑戦してみたい方、を応援しております。
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